作品背景と意図

1961年1月17日、総選挙で選ばれた初の首相、ナショナリストでありコンゴをベルギー植民地から独立に導いた、パトリス・ルムンバが暗殺された。独立から7ヶ月も経っていなかった。コンゴ国内では、独立直後から既に、国家主義者、連邦主義者、民族中心主義者の間での対立や分裂、ソビエト側支持派と米国側支持派の間での対立などが起きていた。それらが全国規模の紛争に発展し、国は不安定で分裂状態に瀕していた。

この危機をチャンスと見たモブツ・セセ・セコは、アメリカ、ベルギー、イギリスの介入支援のもと、ルムンバの暗殺を主導した。そしてその後1965年に2度目のクーデターを起こし、完全独裁体制を築いた。(コンゴ動乱)以来、モブツ政権(国名、ザイールに変換)は、アフリカ大陸における反共の砦として、西側諸国の手厚い援助のもと、独裁を約30年間続けた。反共産主義政策や天然資源の搾取と引き換えに、西側国際社会はモブツの行っていた大規模な腐敗政治、人権侵害、虐待を見過ごした。結果、90年代前半から勃発した民主化へ向けての内戦で経済が崩壊しはじめ、97年にモブツ政権は崩壊した。そして、ザイール(現コンゴ民主共和国)は、モブツの巨額な私的債務も含めた多額の借金を世界に残した。そのため、世界各地にある国の所有不動産が多くの外国人投資家に差し押さえらた。一部は大使館公館であった。

2009年5月、在オランダ、コンゴ民主共和国大使館が突然閉鎖した。背景では、コンゴ民主共和国とレバノンに籍を置く債務回収者の間で、大使館建物の所有権をめぐる訴訟が長く行われていた。(この大使館建物は1978年に、ザイールがベルギー人の所有者から購入した建物だった。)

2010年10月、オランダでは使われていない建物を占拠する行為(スクワット)を、刑事犯罪とみなす新しい法律が施行された。これは歴史的な変化であった。オランダは、ヨーロッパでも特に社会主義の中でのリベラル、オルタナティブ信仰、自治主義やアナキズムが受け入れられている国であったし、何よりも、人の住む場を守るという、基本的人権を保護する為の、進歩的な社会主義法を維持していた珍しい国であった。(「Huisvrede = ホーム/すまいの平和」の概念)その為、2010年10月のこのスクワット禁止法の施行は、オランダのスクワッター達だけではなく、他の国のスクワッター達にも衝撃的であった。「ホーム/すまいの平和」の概念とは、1914年のオランダ最高裁判所の判決を、1971年にナイメーヘン市のスクワッターグループが、同じ最高裁判所で適応したのが始まり。このグループが建物のオーナーと法廷で争った際、この概念を提示し適応して裁判で勝利した。その為、「ホーム/すまいの平和」の概念がその後のオランダのスクワット活動を促進し、守ってきた、と言える。

スクワット禁止法施行の背景には、保守であり新自由主義の(VVD党)とキリスト教民主アピール(CDA党)の中道右派と、急進的に台頭してきた過激極右の自由党(PVV)の存在があった。福祉や社会的公平よりも、経済取引の自由が最大に優先されていた。同年、文化芸術への予算もかつてない程(約25%)削除される事も提示され、文化施設や卒業後の若いアーティストらへの支援も次々と削減されていった。

この劇的な社会的/文化的変化のなか、在オランダ、コンゴ民主共和国大使館がスクワッター達によって占拠された。スクワット禁止法が施行される数日前の事だ。それ以来、この大使館はコンゴの外交特権が適用されていたにもかかわらず、アーティストを中心とした人々の集団によって、共同生活と音楽やコミュニティーイベントを催す場へと素早く変換した。この家は「ヴィラ・カビラ」と皮肉な愛称をつけられ、占領当初は「文化の自由地帯」と表現されていた。(名前は後に修正された)

本作品、「A HOUSE PLACED IN BETWEEN – Poetry in the comfortable grey zone –」は、アーティスト竹内としえ自身がこの建物に居住し、活動していた時期(2011-2016)に撮影にされた。きっかけは2011年、この大使館内で、民主主義を求めるコンゴの反政府デモ隊と出会った(衝突した)ことだった。当時の大統領ヨーゼフ・カビラは、ほぼ独裁であり、2011年12月初め、あり得ない程の多数票を集めて大統領選挙に再選した。革命的結果を期待していたコンゴ出身の反政府活動家達は、この不当な結界に抗議する為に、大使館を占拠しに来た。しかし驚いた事に、大使館は既に私達(外国人達)によって占領されていた。。。 この出来事を原点として、竹内はコンゴ民主共和国の歴史と大使館建物の歴史、またそれをめぐる様々な視点をリサーした。この映画では、このリサーチの過程と、「守られた」生活についてのグループ考察を表現しようと試みた。 また、映像を通して、植民地時代の遺産に今もなお影響される、私たちの認識力についても議論をよべればと思う。


(更なる個人的意向はディレクターズノートで言及)